行けなかったクリスマス
カトリック下館教会司祭 本間研二
普段の日曜日のミサは空席の目立つ教会も、クリスマスの日だけは「この街には、こんなに大勢のキリスト教徒がいたのか」と驚くほど人々であふれる。
若いころは何かと言い訳を見つけてはスルーしていた日曜のミサだったが、そんな私にとってもクリスマスのミサだけは特別で、どんなに寒くとも、どんなに忙しくとも欠かすことはなかった。
ただ遠い昔の、あの日のクリスマスを除けば・・・・・
その日の山形の街は、朝からしんしんと雪が降っていた。
夕暮れ時になっても雪は降りやむ気配がなく、厚手のセーターを着た私は、クリスマスのミサに行くために少し早めに家を出た。しかし、しばらく車を走らせると、道は降り積もった雪に悪戦苦闘する車たちが列をなしている。車の列はしばらくノロノロと進んでいたが、突然その流れが止まった。前の方で事故があったようだ。30分、40分、1時間・・・・長く連なる車列はまったく動く気配がない。そのうち、あちこちの車からクラクションが鳴りだし、車から降りて様子を見に行く人や、いらだった運転手たちの喧嘩まで始まった。きっとクリスマスパーティーへ向かう人、恋人と待ち合わせをしている人、そして子供たちへのプレゼントを持って家路へと急ぐ人。クリスマス・イヴの夜だからこそ時間を気にする人が大勢いたのだろう。
私だってそうだ。ミサはとっくに始まっている。〝クリスマスのミサに遅れるなんて〟私の心は焦りから苛立ちへと変わっていた。
ようやく車が動き出し、なんとか教会にたどり着いた時には、ミサはとっくに終わり聖堂に人影はなかった。ただ薄暗い馬小屋の飼い葉桶の中で、生まれたばかりの幼な子が、やさしく笑みをたたえていた。
私や多くの人たちが、いらだち、いきどおり、小競り合いのさなか、イエスはただ一人ひっそりと生まれたのだ。私たち人間のすさんだ心に、そっとあたたかな灯をともすかのように。
聖堂の外には、まだ白い雪がしんしんと降っていた。
今年もまたクリスマスがやってくる。
ベツレヘムの馬小屋にそっと生まれた幼子は、あの日と同じ微笑みで私たちに語り掛けている。「そんなに焦らなくともいいんだよ。そんなにいらだたなくてもいいんだよ。わたしはいつもあなたの側にいる。そのためにこそ、わたしは生まれたのだから」と。
聖なる夜に、あなたの心の中に幼子イエスが生まれ、神のあたたかな愛が、あなたの心にそっと触れ、あなたの愛が目覚めますように。・・・・・メリークリスマス