痛みのない愛はなく

 カトリック下館教会司祭 本間研二

 ●マタイ5.38-48

 東村山市にあるハンセン病の施設「全生園」を初めて訪れたのは神学生の時だった。 自分の所属する修道会にハワイのモロカイ島に隔離され、絶望の淵にあるハンセン病の人々のために生涯を捧げ、自らも同じ病で逝った〝聖ダミアン神父〟がいたこともあり勇んで行った記憶がある。

緊張しながらも病室のドアをノックすると「どうぞ」という声が中から聞こえた。そっと扉を開けると初老の女性がほほえみながら迎えてくれた。質素だが掃除が行き届いた部屋には小さなちゃぶ台が置かれ、壁には古びた柱時計がカチカチと時を告げていた。
カトリック神学院から来ましたと告げると「あらっ、私もカトリックの信者なのよ」と喜んで部屋に招き入れてくれた。
 その方の気さくな人柄と、同じ信仰を持つ者という安心感で、しばらく楽しく話し込んでいたが、話がひと段落した時にちゃぶ台の上にお茶を出してくれた。そのおばさんの手を見たとき、私は動揺した。両手がケロイドの様にはれ上がっていたのだ。それがハンセン病の後遺症によるものだとすぐに分かった。病には特効薬があり、もう感染はしないことも分かってはいた。しかし万が一うつりはしないか、うつったらあんな手になりはしないか。そんな恐怖心から私は、そのお茶を飲むことが私にはできなかった。今まで気兼ねなく話していた私だったが、それを機に話す言葉が出なくなってしまった。気まずい空気が流れ、居たたまれなくなった私は、たまらず「帰ります」と言いドアを開け一歩足を外に踏み出した。まさにその時、後方から温かな優しい声が響いた「今日は来てくれてありがとう。また来てね」と。その声は私の胸に突き刺さった。しかし私はその声を振り払うようにその場を離れ、逃げるように神学校に帰って行った。

 神学校に帰ってからもその声が私の心から離れることは無かった。自分の無礼さと無神経さ、そして罪悪感。自分の不甲斐なさが身に染みた。神父になることを夢見ながら、いったい何を目指しているのか。その答えを探すために私は度々全生園を訪問するようになっていた。
 たくさんの患者さんの部屋を訪れたが、取り分けおばさんの部屋には頻繁にお邪魔し、親しみも増していった。いつしかお茶もガブガブ飲むようになったし、おばさんにミカンの皮をむいてもらいムシャムシャ食べるようになっていた。
 ある時、私は思い切って聞いてみた。「初めて来た時、私は無礼だったでしょう。無神経だったでしょう。おばさんの心を踏みにじったでしょう。心は傷ついたはずなのに、それなのに帰る時に、なんであんなに優しい言葉で私を送り出すことができたの?」

そんな私の問いにおばさんは答えてくれた。「私がここに来たのは17歳の時。それから今日まで一度もここから出たことはないの。親を恨み、世間を呪い、人生に絶望もした。だから私は死んだら天国に行きたいの。でも天国に行くためには、自分のできることを精一杯しなきゃ駄目だと思うの。だけど、どこにも行けない私が出会えるのは全生園の先生たちと、ここで働く看護婦さんたち、そして時々訪ねてくれる人たちだけ。だから私は、出会えた人を大切にすると決めたのよ」。
「今日は来てくれてありがとう。また来てね」。あの言葉は長い苦しみの中から搾り出された心からの声だったのだ。

イエスは言う「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5.45)。

その愛を生きるのは容易ではない。しかしあの人は私に教えてくれた「痛みのない愛は無く、痛みの中にこそ真実の愛は潜んでいる」ことを。

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