ずっと前から待ってました
カトリック下館教会司祭 本間研二
●ルカ2.1-14
まだ幼かった遠い昔、マリア幼稚園の学芸会での私の役は、主役の「桃太郎」ではなく、不本意ながら「鬼ヶ島の鬼」だった。セリフは桃太郎にやっつけられて「まいった、まいった降参。」の一言だけだったが、それでも日々練習に励んだ。しかし学芸会の当日、観客(保護者)の多さに圧倒された私は気が動転してしまい、何を思ったか主役の桃太郎に馬乗りになり、頭をポカポカやってしまった。思いもよらぬ展開に、桃太郎は泣きじゃくり、キジもサルも犬も呆然と立ちつくし、観客(保護者)たちは大笑い。先生たちは舞台のそでで大あわて、家に帰って母親からは「明日から恥ずかしくて、幼稚園に行けない。」と泣かれてしまう始末。
あれから40年?・・・悪しき思い出のあるマリア幼稚園に、私は園長として舞い戻って来たのだった。もちろんあの恥ずかしい出来事は誰にも洩らすはずもない。しかし神さまは、私を見逃さず、同じような舞台を用意して待っていた。
それは「クリスマス会」の準備で幼稚園が、一年でもっともあわただしく動き回る12月の中頃だった。
一人の先生が「園長先生、ケンちゃんが降誕劇の練習したくないって愚図っているんです。」と困り顔でやって来た。そこでホールに行った私はケンちゃんに聞いた。「ケンちゃん、ケンちゃんは何の役なの」。ケンちゃんは小さい声で「宿屋の主人」と答えた。なるほど宿屋の主人は、泊めてと願うヨゼフとマリアに「今日はお客さんでいっぱいだから泊められないよ。」と断らなければならない。羊飼いや三人の博士や天使たちと違い、ちょっぴり意地悪な役を演じなければならないケンちゃんの気持ちは痛いほど分かった。でも宿屋の主人がいないと降誕劇は成立しない。そこで私は言った「ケンちゃん、宿屋の主人の役は一番難しいんだよ。でも先生は、難しい宿屋の主人の役も、ケンちゃんだったらきっと立派に出来ると思ったから、お願いしたんだと思うよ。」うつむいていたケンちゃんが、私を見て微笑み、スクッと立ち上がり「ボク、やる。」とみんなの輪の中に入って行った。
「クリスマス会」の日。ホールは大勢の観客(保護者)たちで埋まっていた。年少さんの歌や年中さんのダンスが終わり、いよいよトリを飾る年長さんの「降誕劇」が始まった。舞台には段ボールで作った宿屋があり、ケンちゃんはその陰に隠れて出番を待っている。ベツレヘムまで旅をして来たマリアとヨゼフが宿屋の前に立ち、扉を叩き「泊めてください。」と願う。中から宿屋の主人役のケンちゃんが出て来て、ちょっと意地悪そうに「今日はいっぱいだから、泊められないよ。」と、言うはずだった。・・・ところが扉を中から勢いよく開けたケンちゃんが、ニコニコしながら大きな声で言った「マリアさま、ヨゼフさま、ずっと前から待ってました。一番いい部屋をとって待ってました。どうぞ中に入って下さい」。そう言って二人の手を取り、宿屋の中に入ってしまったのだ。
その瞬間、私の心臓は止まりそうになり、背中から冷たい汗が流れ、40年前の悪夢の「桃太郎」が脳裏をよぎった。恐る恐る私は観客席を見た。薄暗い会場はシーンと静まり返り、しばし戸惑いの空気が流れた。しかし、どこかからとなく手をたたく音が聞こえ始め、いつしか会場は拍手に包まれ、観客たちの顔には微笑みが浮かんだ。私はそっと先生たちの方を振り返った。誰一人怒っている人はいない。もちろん私も。
ケンちゃんは先生たちから、いつもマリアさまの優しさ、ヨゼフさまの素晴らしさを聞いて、二人が大好きでしょうがなかったのだ。その二人が自分の目の前に現れた時、ケンちゃんには、それが劇なのか現実なのか区別がつかなくなってしまったのだ。そして思わず叫んでしまう「ずっと前から待っていました」と。
ケンちゃんの開けたのは段ボールの宿屋の扉ではない、心の扉だ。ケンちゃんは自分の心の扉を開け、心の中へとマリアとヨゼフを招き入れたのだ。
果たして今、目の前にマリアとヨゼフが現れ、私たちの心の扉を叩き「入れて下さい」と願ったならば、私たちは、自分の心の中に、二人を招き入れることができるだろうか。
聖なるクリスマスの夜に、マリアとヨゼフは、私たちの心の扉を叩き、そっと言うでしょう。「救い主が生まれます。あなたの心の中に入れて下さい」と。
その時に「ずっと前から待ってました。一番いい部屋をとって待ってました。さあ、私の心の中に留まりください。」と・・・ケンちゃんのように、心から言えるクリスマスでありますように。
メリークリスマス!